大日本麦酒株式会社はアサヒビールを発売した大阪麦酒、サッポロビールを発売した札幌麦酒、ヱビスビールを発売した日本麦酒の3社の企業合同により設立されました。 キリンビールを発売したジャパン・ブルワリー・カンパニーにもこの企業合同への参加が打診されていましたが拒否し、体制強化のために翌年の1907年に設立された麒麟麦酒に事業譲渡しました。